悪魔の吐きだめ

映画とかドラマとかのことを書いてます。

青春映画の新たな傑作「ハーフ・オブ・イット」

Netflixオリジナル映画(実際にはオリジナルではないのかな?)の「ハーフ・オブ・イット」が、近年稀に見るめちゃくちゃ良くできた青春ラブコメディ映画だった。従来のラブコメや学園映画の定石を踏みつつ、新たな視点をミクスチャーしたことで、とても新鮮に感じる作品なのだ。

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物語は、アメリカのとある田舎町に住む高校生の主人公エリーがアメフト部のポールから、彼が憧れる学校イチの美女アスターに宛てたラブレターの代筆を頼まれるところから物語が始まる。エリーには文才があるのだが、スポーツマンのポールはまるでダメなので、ラブレターから文通、さらにメールのやり取りになってもエリーに代理になってもらうのだが、ポールの振りをしたエリーとアスターが通じ合うようになり…というストーリー。

序盤のいわゆる“サエない女子”が男子を応援していく「よくある」展開になるかと思いきや、エリーの秘めた気持ちから起きるツイストが見事で、徐々に気持ちが入り乱れる3人の関係性がすごく面白い。

特に中盤のダイナーのシーンが素晴らしくて、ポールとアスターのデートをエリーが外から見守っているのだが、話の噛み合わない2人にエリーがメールでポールの振りをして助け舟を出し、メール上で会話が盛り上がるものの張本人のポールは蚊帳の外、という構図も笑えるし、エリーとアスター、エリーとポールそれぞれのメッセージのやり取りが、画面の左右に映し出される演出もうまく(ここでのメッセージ内に絵文字を使う・使わない問題も後になって効いてきてくるからさらに感心する)、まさにキャラクターとその関係性を現す演出が阿吽の呼吸でガチッと嵌った秀逸なシーンだ。

また、「よくある」にならないのはキャラクター描写もそうで、ポールのキャラはいわゆる“JOCKS”かと思いきや、実はものすごく良い奴で人種で揶揄われるエリーをかばうし、彼自身もアメフト部のスターというわけでなく補欠だったりする。アスターも学校のヒエラルキーでは上位に位置するけど自分の居場所に悩んでいたり。そんな「よくある」じゃない3人が、終盤で図らずも「よくある」を迎えてしまうからこそすごく泣ける。これぞ青春映画と唸ってしまう。


3人の人種の違いや同性愛についての描かれているけど、今作ではそれらが重要な要素だとか、それだけにフォーカスして語るべき映画では無いと思っていて、何より作品の「面白さ」というのはキャラクターと物語、これに尽きるなとしみじみ思ってしまった。一言で言えば、傑作。万人にお勧めしたい素晴らしい映画だった。

恋愛と依存についての自伝的コメディドラマ「フィール・グッド」

今年Netflixでスタートした「フィール・グッド」を鑑賞。近年でもかなりピュアでシンプルなラブストーリーだった。

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アメリカのドラマには、「スタンダップコメディアン自らの悲喜交交の体験談をドラマにしました。」というジャンルがある。ジェリー・サインフェルドの「となりのサインフェルド」やルイスC.K.の「Louie」、最近ではピート・ホルムズの「クラッシング」、ティグ・ノタロの「ワン・ミシシッピ」などがあり、今作「フィール・グッド」もその一つ。実際にスタンダップコメディアンとして活躍するメイ・マーティン自らの実体験を描いたドラマだ。

ステージに立つメイは、いつも彼女のステージを最前列で鑑賞しているジョージと付き合いはじめる。この2人の恋愛関係がドラマの軸となるのだが、夢中になると一直線のメイが好きになる相手は、性別を問わない。対するジョージはこれまで異性としか恋愛経験がなく、はじめてのメイとの恋愛に戸惑う。

昨今LGBTのラブストーリーは珍しくないが、好きになる性別を問わないメイというキャラクターと、セクシャリティを重要視するジョージというキャラクターの関係性の描き方は新しく感じる。

さらに、実はメイは薬物に依存していた過去があり、依存対象がドラッグから恋人に変わっただけではないかという事実に直面する。

そんな2人の会話や周囲に対する態度などのちょっとしたすれ違いの拾い方が丁寧で、特にラスト2話のお互いの気持ちをぶつけるシーンにはホロリとさせられる。

「LGBTQの恋愛」という前置きは置いておいて、何よりも「好き」という気持ちを知るカップルのピュアな恋愛模様として、そしてウィットに富んだ台詞が飛び交う非常に良質なコメディドラマとして多く人に観てほしい一本。

 

ちなみに彼女のスタンダップコメディの舞台は、同じくNetflixの「世界のコメディアン」というシリーズで観ることができる。彼女がいかに「依存」してきたかが面白おかしく語られるので合わせて観るのがオススメ。

Amazonが放つデジタルネタ満載のコメディドラマ「アップロード」

5月から配信がスタートしたAmazonのオリジナルドラマシリーズ「アップロード〜デジタルなあの世へようこそ」。副題からもわかるようにデジタル化された“あの世”を舞台としたコメディドラマである。

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物語は、死んだ人々の記憶をデジタル化してクラウド上にアップロードし、その仮想現実の世界で住むことができるようになった近未来が舞台。交通事故により、自らの意思に反して仮想現実にアップロードされてしまった主人公のネイサンが、死後のデジタル世界での生活に葛藤するようすと、自らの死に追い込んだ人物を探るサスペンスを織り交ぜたドラマである。


ただ、近年似たドラマは既にいくつか存在しており、近未来を舞台としたアイロニックなSFアンソロジー「ブラックミラー」の中のエピソード「サンジュニペロ」でもデジタル化された死後の世界が描かれていたし、コメディドラマ「グッド・プレイス」でも何でも望みが叶う天国を舞台としていた。そのため、今作「アップロード」のあらすじを聞いてもあまり目新しさは感じないかもしれない。(視聴者の目が肥えるとは恐ろしいことだ)


しかしそれを以ってしても、このドラマには多くの魅力がある。死後デジタル化された人すべてが裕福な暮らしができるわけではないことを今作では描いている。富裕層であればリゾートのような仮想現実にアップロードされるものの、逆に貧困層は容量制限がかけられた質素なアパートのような中に入ることになる。容量が少ないと電話や思考するだけでギガを使い果たして月末まで機能停止してしまったり、さらにお金がない人は読書もゲームも無料版や試供品のコンテンツしか使う事ができない。(本も冒頭の5ページしか読む事ができないため、ハリーポッターが魔法使いだと分からないままでいる少年の描写が秀逸だ)
他にも、仮想現実の世界では、1回興味を示しただけで煩いほどにリターゲティングの広告に追い回されたり、建物に入るために複数のパネルから信号機の画像を選ばないといけないなど、インターネットユーザーであれば誰もが感じたことがある「あるある」が擬人化・具現化して描かれているため笑ってしまう。


また、もう一つ注目したいのが今作のショーランナーを務めたのが、アメリカで大人気だったコメディ「The Office」や「Parks and Recreation」を手掛けたヒットメイカー、グレッグ・ダニエルズであるということだ。

実は先に類似作品として挙げた「グッド・プレイス」のショーランナーのマイケル・シュアは「Parks and Recreation」でダニエルズとともに共同でショーランナーを務めていた仲であった。「Parks」以降でそれぞれ別の道を進み始めた2人は、シュアは「グッド・プレイス」、ダニエルズは「アップロード」とそれぞれ脚本を同時期に進めていながら、お互いのアイデアは口にしなかったという。そんな中で「グッド・プレイス」がスタートし、ヒットしている中で先を越されてしまったダニエルズは相当悔しかったに違いない。

【製作秘話】Amazonドラマ『アップロード』設定は30年前に作られていた。『グッド・プレイス』との意外な関係も【アップロード ~デジタルなあの世へようこそ】VG+ (バゴプラ) | VG+ (バゴプラ)

そしてこの裏話が、「アップロード」の物語で描かれる主人公のネイサンが、競合となる仮想現実を作り上げてライバルから命を狙われるという展開と奇しくも重なるのも面白い。

とはいえ、ファンタジーとしての天国と善行についての哲学を描いた「グッド・プレイス」と、デジタル世界における人間の価値を描いた「アップロード」は両者それぞれに異なる魅力があると思う。


ダニエルズにとっては今作が「Parks and Recreation」以来5年振りの新作となったが、続けて今月5月末にはさらに新作のコメディシリーズ「スペース・フォース」がNetflixでスタートする。「The Office」のスティーヴ・カレルと再びタッグを組み(カレルは共同ショーランナーも務める)こちらも楽しみである。

2019年 映画ベスト10

毎年恒例の今年劇場公開された映画の年間ベスト10。

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第10位「ファイティング・ファミリー」

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ティーヴン・マーチャントが「ジ・オフィス」の放送から20年近く経ってもなおも描き続けるのは“人生を諦めた者の物語”。WWEのオーディションに合格してプロレス女王を目指すペイジと、挑戦を続けるも一向に芽が出ない兄のザック。「ザ・ファイター」を彷彿とさせる兄弟のドラマとマーチャントの得意とする現実から抜け出せない焦燥感が合わさった秀作。


第9位「ラスト・クリスマス

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ポール・フェイグはやっぱりロマコメを描かせるとピカイチだ。ダメな主人公と完璧な王子様。彼女が困っているときに必ず彼は現れる。そしてその先に待つラストと共に流れるワムの「Last Christmas」で号泣。2010年代の最後にこんなにもオーソドックスで丁寧で美しいコメディが観れて本当に幸せだ。


第8位「マイ・ブックショップ」

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田舎町で本屋を開く女性を待ち受ける災難の数々。本がきっかけで救われる一方で、本がきっかけで窮地に陥る。その受難に耐え得る主人公演じるエミリー・モーティマーの姿が「奇跡の海」のエミリー・ワトソンと重なる。近年で特に田舎のヤダみが出ている一本でもある。


第7位「ホット・サマー・ナイツ」

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夏と90年代とティモシー・シャラメ。(加えてジョナサン・リッチマン)。この組み合わせだけで脳内は完全に気怠い夏休みに逆戻りだ。ティーン小説や青春犯罪映画をサンプリングしたダークなサマームービー。


第6位「アベンジャーズ/エンドゲーム」

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前作「インフィニティ・ウォー」の鬼畜なラストに「後編は不要」と思っていたが、ダークな展開になりそうなところを過去のSF映画を下敷きにした良い意味での“チープさ”が心地良い快作となっていた。今年はアベンジャーズだけでなく、スター・ウォーズゲーム・オブ・スローンズの10年代を代表するエンターテインメントが続けて終焉を迎えたが、最も成功した完結篇はエンドゲームだろう。


第5位「マリッジ・ストーリー」

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いつもノア・バームバックの映画を観ていると笑いながら泣きそうになるような不思議な感情になる。「500日のサマー」のように惚れてた仕草が憎らしく思うようなことはなく、何年も共にした夫婦にはお互いにお互いの好きな所はある、にも関わらず憎しみ合わないといけない辛さ。きっと今観て感じた面白さと何年後か経ってから観る時の印象は違うだろう。


第4位「フロントランナー」

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ジェイソン・ライトマンからの「ペンタゴン・ペーパーズ」に対する宣戦布告。計算された長回しとライティング効かせた陰のショットなど鳥肌の立つような美しいシーンとともに、猥雑な会話劇とキャストの見事なアンサンブル。シリアスとコメディが絶妙にマッチしたライトマン印の新しい傑作が誕生した。

 


第3位「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」

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タランティーノの“タラれば”物語として今年一番でめちゃくちゃ楽しかった映画だった。周到にフラグを立てながら拍子抜けするような展開に爆笑しつつ、そこで明かされるタイトルの意味で鳥肌が立った。いつだってタランティーノは映画を信じ続けるのだ。

 


第2位「荒野にて」

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アンドリュー・ヘイが描いた無垢な少年が様々な人々と出会いな居場所を求める物語。主人公の行く先々で待ち受けるのは厳しい現実だが、それでも彼は自らの居場所を求めて進んでいく。大きな事件も展開もない映画であるのに、心の機微を丁寧に厳しくも優しい目線で捉えられ、荒野を進む1人と1匹の背中に見える孤独さに胸が何度も苦しくなった。

 


第1位「ハウス・ジャック・ビルト」

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元々高かった期待値を遥かに上回ったラース・フォン・トリアーの今作がやっぱり今年のベスト1位。モラルガン無視で突き進み、コメディからサスペンスまでジャンルを横断する凄さ。その先で主人公ジャックとトリアー自らを重ね合わせて過去の過ちを反省するのかと思いきや、開き直って自らをさらに地獄の底に突き落とす爽快さ。ただひたすらに最高だった。

「ファイティング・ファミリー」スティーヴン・マーチャントが描いた“諦めた者”についての物語

最近、講談師の神田松之丞がパーソナリティを務めるラジオ「問わず語りの松之丞」をよく聴いている。その中で神田松之丞が「しゃべくりセブン」に出演した際にくりぃむしちゅーの「上田晋也一代記」を行おうとしたが結局やらなかった、という話があった。理由は「人生がつまらなすぎたから」と言っていて、あまりの言い草に聴きながら一人で声を出して笑ってしまった。もちろん芸能人なんだから“つまらない”ということは無いのだろうが、取り立ててネタにできるようなものが何も無かった、ということからだった。ただ、くりぃむの上田ですら人生に「何も無い」のであれば、普通の人の人生はどうなのだろうと思ってしまう。


ティーヴン・マーチャントが監督した「ファイティング・ファミリー」は、女子プロレス界の元女王ペイジがWWEに採用されるまでを描いた実話を基にした物語である。話だけ見れば「ロッキー」フォロワーのサクセスストーリーかと思いきや、“自分の夢を諦めることになった者”、“なりたい自分になりたくてもなれない者”についての映画なのだ。

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イギリスの田舎町で暮らすペイジは、兄のザックや両親とともに家族ぐるみでプロレス巡業で生計を立てており、一攫千金を夢見て兄妹で世界的に有名なプロレス団体WWEのオーディションを受験する。しかしそのオーディションに合格したのはペイジだけ。妹の前では気丈に振る舞うザックだったが、裏では悔しさを滲ませる。なぜこんなに努力しているのに認められないのか。オーディションを何度受けても合格せず、子供も産まれ父となったザックは夢からどんどん遠のいていく。故郷に久々に戻ってきたペイジに対して冷たく当たるザックは「なんで俺じゃなくてお前なんだ!」と強く怒りをぶつける。それに対して思わずペイジはこう返してしまう。「あんたには何も無いからよ!」と。


ティーヴン・マーチャントは以前からこうした陰にいる人物の物語を描いてきた。マーチャントが有名になったのはリッキー・ジャーヴェイスと組んで監督・脚本を務めた「ジ・オフィス」である。イギリスの片田舎にある小さな印刷会社内の日常をドキュメンタリータッチで描いたコメディドラマなのだが、その中には自分が部下から慕われていると勘違いする上司、自分はこんな小さな会社で働くべきじゃないと思いながらもズルズルと辞められないで仕事を続ける社員など、思わず誰もが自分と重ね合わせてしまうようなキャラクターとその末路が可笑しくもありながら哀愁たっぷりに描かれ、いまだに語り継がれるカルトクラシックとなった。

さらにその後マーチャントとジャーヴェイスが再タッグを組んだ「エキストラ」では、前作以上に“なりたい夢を諦めること”について描かれていた。エキストラから有名俳優を目指していたはずが、いつしか一発屋芸人になってしまっていた主人公を巡る悲喜劇である。

いずれの作品でも、主人公は気がついた頃にはもう夢からかけ離れたところにいて、もうどう足掻いても夢には辿り着けないのだ。でも、その中でも、そのどん底の生活からも、生きる希望を見つけて、自分なりの人生を見つけ出す。これがマーチャント(とジャーヴェイス)が一貫して描いてきた物語なのだ。


努力していた人間が、自分は物語の主役ではないと認めることは、栄光を掴むより大変なのではないかと思う。「つまらない」「何も無い」という言葉の破壊力は凄まじく、言われた者に殴りかかる。大半の人の人生なんて側から見れば「つまらない」はずだ。でもその中で懸命に生きてやりがいを見つけた人にとっては「何も無い」なんて無い。そうマーチャントは今回の映画でも描いている。

アナベルから本家「死霊館」へのラブレター?『アナベル 死霊博物館』

ジェームズ・ワンが監督した「死霊館」(The Conjuring)は本当に凄いホラー映画だった。“出そうで出ない(けどやっぱり出てくる)”脅かし演出、ホラーに似つかわしくない流麗なカメラワークなど、ビジュアルや大きな音に頼るだけのワンパターン化していた近年のホラー映画と比べて、極めてストイックなホラー映画として人気を博した。
ただ、その完成度の高い「死霊館」の映画の中で妙に浮いた存在がいた。そう、アナベルである。

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とにかくアナベルそもそも顔面のビジュアルからして凶悪すぎる。先にのも述べたように見た目の派手さで観客を驚かさないストイックな今作の中でその逆を行く、いわゆる見た目重視の古典的な存在なのである。


さらにアナベルを違和感たらしめてるのはその登場シーンで、「死霊館」1作目の序盤と中盤にアナベルは登場するものの、メインとなるペロン一家の物語とは直接的な関係がないのである。キリキリとした緊張感の中で進む話の中盤、突如始まるアナベルの小話の唐突感たるや、コース料理を食べていたら途中で突然ハンバーガーを出されたようなジャンクさである。
そんな存在でありながらも、結局はそのやたら恐ろしいビジュアルで人気を博したアナベルはスピンオフとなりシリーズ化を果たす。


今回の「アナベル 死霊博物館」は、そんなアナベルシリーズの3作目となる。
物語は「死霊館」1作目の冒頭のウォーレン夫妻がアナベル人形を引き取るところから始まる。ここで注目すべきは、ウォーレン夫妻の再登場である。これまで本家「死霊館」2作品以外の、「アナベル」を含めたスピンオフが5作品が製作されたが、夫妻を演じるパトリック・ウィルソンヴェラ・ファーミガがスピンオフ作品に出演したのは今回が初めてなのである。


夫妻が自宅へとアナベルを持ち帰り、これまで除霊してきた数々のアイテムを保管するコレクションルーム内にアナベルを封印する。と、ここでオープニングになるのだが、「この時夫妻はアナベル人形のもたらす本当の恐怖を知る由もなかった・・・」云々と書かれたテロップが流れ、ゴゴゴゴと不穏な音楽とともに大きな文字で「Annabelle Comes Home」とタイトルが現れる。実はこのオープニングクレジット、死霊館」のそれと全く一緒なのである。

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つまりウォーレン夫妻が登場し、このオープニングを再現しているということは、「はい、これから死霊館のパロディをやりますよ!」と冒頭で宣言しているも同然なのだ。


時は流れて、ウォーレン夫妻の娘ジュディが両親が留守にする間、ベビーシッターのメアリーに預けられる一日が描かれる。そこでメアリーの友人ダニエラがこっそり夫妻のコレクションルームに侵入。アナベルが封印された箱を開けてしまい、これがきっかけで部屋に閉じ込められていた悪霊たちが一気に解き放たれてしまうのだ。産みの親ジェームズ・ワン曰く死霊館版ナイトミュージアムというように、ここからはお化けのどんちゃん騒ぎとなるのだが、冒頭の宣言通り、驚かし方は本家の伝統芸“出そうで出ない”寸止めドッキリ(勝手に命名をきっちり踏襲しまくる。その他にも、寝ている間に足を引っ張ったり、お化けからのゲロ移し、壁に掛けられた十字架が逆さを向くなどとにかく「死霊館」ネタで少女たちを攻めまくる。


この本家元ネタ攻撃に対抗するのはウォーレン夫妻!と思いきや、戦うのはその娘のジュディなのである。「死霊館」1作目の以後に当たる今作は、1作目でアナベルにより恐怖のドン底に突き落とされたジュディとアナベルとのリベンジマッチとなるのだ。これはつまり「死霊館」1作目で生き延びたジュディに対して、凶暴な不良少女であったアナベルが追放(スピンオフ)となった今、アナベルが本家「死霊館」へのカムバックの凱旋試合に挑む物語なのではないかと思えてくる。原題のタイトル「Annabelle Comes Home」の「Home」とは正に本家「死霊館」のことではないか!


そう考えると、今作で「死霊館」のネタを散りばめていた理由はオリジナルへのリスペクトであり、アナベルから本家「死霊館」へのラブレターのように思う。
いつしか独走状態となっていたアナベルシリーズにおいて今作は、オリジナルへの回帰を目指した作品でありながら、その一方で、本家では出来なかった(良い意味で)下品なジャンル映画の楽しさを押し出している。

そんな映画のエンディングに流れるのはKing Harvestの「Danicing in tne Moollight」。その歌詞を見るとアナベル(そして彼女に取り憑いて操るジェームズ・ワン!)の「まだまだフザけさせてよ!」という無邪気なエクスキューズにも捉えられる。そう思うとあんなに凶悪なアナベルも、なんだか可愛らしく思えてきてしまうではないか。(いや、そんなことないか)

 


Dancing In the Moonlight

月が大きくて明るい夜は
オレたちは毎晩ようにハジけるんだ

 

それはとてつもない(超常的な)喜びなんだ
だってみんな月明かりの下で踊るんだから


此処にいるみんなはすごい奴らばかりだ
彼らは吠えたり、噛み付いたりなんかしないよ
楽しいことが好きで、ケンカもしない


みんな気楽に生きてるんだ
だからみんな月明かりの下で踊るんだよ

サプライズの連続!第71回エミー賞を終えて

今年のエミー賞はサプライズの連続だった。

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まず、一つめのサプライズにして一番の驚きだったのはジュリア・ルイス=ドレイファスがコメディ部門主演女優賞を逃したことだ。6年連続同役で受賞を果たしていたドレイファスはファイナルシーズンである今年も間違いなく受賞するものと誰もが予想していた。
コメディ部門の助演女優賞助演男優賞は、「マーベラス・ミセス・メイゼル」からそれぞれアレックス・ボーステイン、トニー・シャルーブが受賞。主演男優賞は「バリー」からビル・ヘイダーが受賞した。と、ここまでは何となく予想がついていたが、監督賞、脚本賞が続けて「フリーバッグ」が受賞したのだ。おやおやと思っていると、そのまま主演女優賞はなんと「フリーバッグ」のフィービー・ウォーラー=ブリッジが受賞したのだ!個人的にもブリッジが受賞したらいいなとは思っていたが、女王ドレイファスには到底勝てないと思い込んでいた。しかし、エミー会員はドレイファスに最後のトロフィーは渡さずに、新鋭ブリッジを選んだのだ。この英断を個人的には高く評価したい。


そして続くコメディ部門作品賞。ここで主演女優賞を逃した代わりに「Veep」が来るか、2年連続「マーベラス・ミセス・メイゼル」か、はたまた昨年受賞を逃した「バリー」か。と、どの作品にも同じレベルの受賞の可能性がある中でなんと作品賞は「フリーバッグ」だったのだ。完全にブリッジの年となったエミーだった。


ドラマ部門も波乱の受賞だった。ここも助演部門は、男優賞が4度目の受賞となったピーター・ディンクレイジ、女優賞がジュリア・ガーナーと下馬評通りの展開。主演男優賞はビリー・ポーターが受賞し、ゲイを公表した俳優として初めての受賞となった。そして驚きが主演女優賞だった。こちらも“初めて”アジア人として受賞を望まれていたサンドラ・オーのほか、ロビン・ライトローラ・リニーヴィオラ・デイヴィス、そしてエミリア・クラークという、クラーク以外にも全員が“マッド・クイーン”状態のノミニーの中で受賞は「キリング・イヴ」のジョディ・コマーだったのだ。同ドラマで2人ノミニーではオーに軍配が上がると思っていた。また、この「キリング・イヴ」、クリエイターの一人はフィービー・ウォーラー=ブリッジなのだからすごい。

ドラマ部門の脚本賞は、「ベター・コール・ソウル」、「ゲーム・オブ・スローンズ」、「ハンドメイズ・テイル」など強豪が揃う中、初ノミニーとなった「サクセッション」のジェシー・アームストロングが受賞。アームストロングはブリッジ同様にイギリス出身のコメディ脚本家で、「Veep」のオリジナル版ドラマ「Thick of It」や「ピープショー」のクリエイターで、アメリカでは初のノミネートでありながら受賞となった。


監督賞は「ゲーム・オブ・スローンズ」から2つのエピソードがノミネートされており、どちらかは受賞するだろうと思いきや、なんと「オザーク」からジェイソン・ベイトマンが受賞してしまった。作品賞、主演男優賞もノミネートされていた「オザーク」は過大評価されている気がしないでもないが、監督賞の受賞はベイトマン本人にとっても予想していなかったようで、その様子を綴った以下のツイートは「ブルース一家は大暴走」を知る人にとってはめちゃくちゃ面白い。


この流れでドラマ部門の作品賞も、最有力の「ゲーム・オブ・スローンズ」すらも受賞が危ういのではないかと思ったが、あっさりここは誰もが予想した通り「GoT」が受賞する結果となった。オープニングでもネタにされていたスタバのカップ問題といい、何かと批判を浴びてしまった今作だったが、文字通り有終の美を飾ることができ、無事成仏できたのではないかと思う。今シーズンだけが凄かったのではなく、「ゲーム・オブ・スローンズ」というドラマ自体が革新的だったのだから。


リミテッドシリーズは「チェルノブイリ」が作品賞、監督賞、脚本賞を受賞。同じく批評家から絶賛だった対抗馬「ボクらを見る目」は、ジャレル・ジェロームの主演男優賞1部門のみの受賞で終わった。
TVムービー作品賞は、「ブラックミラー/バンダースナッチ」が受賞。プレゼンターのジェームズ・コーデンが「観る人によって話が違うじゃねえか」と紹介していたがその通り。「ブラックミラー」としては「サン・ジュニペロ」、「USSカリスター号」に続いての3度目の受賞となった。クリエイターはチャーリー・ブルッカー。ブリッジ、アームストロングに続いてやはりイギリス勢クリエイターの勢いを感じる受賞式となった。


そんなエミーでダントツの可愛さだったのは「ベリー・イングリッシュ・スキャンダル」よりリミテッド部門助演男優賞を受賞したベン・ウィショー。壇上に登ったウィショーは、頭を抱えながら開口一番に「実は二日酔いなんだ…笑」とポツリ。ウィショーの株がまた上がる結果となったキュートすぎる受賞となった。