悪魔の吐きだめ

映画とかドラマとかのことを書いてます。

男性の恐怖と固定概念をぶち壊す「MEN 同じ顔の男たち」

夫の死を目撃した主人公のハーパーは、傷を癒すためイギリスの田舎町での生活を始める。しかし、そこで出会う管理人、神父、警察官、少年、浮浪者、すべての男たちが自らの男性性を武器にして、あらゆる形で彼女を恐怖に陥れる・・・しかもその男性たちはすべて同じ顔だった・・・というのが本作「MEN 同じ顔の男たち」のあらすじである。

 

本作を観る前から、今作の肝である「同じ顔の男性」という点は、「女性から見た男性性というものは、別の男性であったとしても同じように見える」という暗喩であることは分かっていたが、実際この映画で描かれるのはさらにそれよりも深く、男性の中の、そして女性の中の「男性性からの脱却」であるように思う。

 

ハーパーは森で散策中にトンネルを見つける。するとそのトンネルの奥から、全裸の男性がこちらに向かって走ってくる。
このトンネルというのは、女性器のイメージであり、そこから飛び出してくる男は裸で誕生する人間である。

町のあらゆる男から身を守るために、彼女は家に逃げ込む。
家はスペイン語では女性名詞の“Casa”と表す。
男たちはあらゆる手段を講じて家(=女性)に侵入しようとする。

 

後半のシーケンスの中で、彼女がたんぽぽの綿毛を吸い込む場面がある。
たんぽぽの綿毛は、風に舞う種子であり姿を変えた男性でもある。
男性の意識を取り入れた彼女は、家に男性を招き入れようとする。
それは自分の中で男性を受け入れることを示唆している。

この入ること、出ることの行為が今作においては重要なキーワードで、それは女性が女性らしさから出ようとすること、男性が入ろうとすることである。そして、それは同時に性行為も意味している。
刃を突き立てる男性という存在に、彼女は刃を突き立て返す。
家に閉じこもっていた彼女が、今度は何度も逃げ出そうとするようすはその女性の枠の中からの脱却のように思える。

 

女性はこうあるべき、男性はこうあるべきという概念を覆すラストは本当に衝撃的である。
映像表現で固定概念をぶち壊し、観客に疑問を投げかける2022年で最も奇怪で、あらゆる解釈の余地がある示唆に飛んだ面白さに溢れた1本であることは間違いない。