悪魔の吐きだめ

映画とかドラマとかのことを書いてます。

青春映画「ペーパータウン」と「ぼくとアールと彼女のさよなら」について

休日にたまたま「ペーパータウン」と「ぼくとアールと彼女のさよなら」の青春映画2本を立て続けに観る機会があった。いずれもヤングアダルト小説の原作を基にした作品で、何年か前に読んでいたものの映画はずっと未見だった。


この2作には色々と共通点があって、主人公の高校3年生の男子の一人称視点で語られる形式で物語が進むということ。2015年7月にアメリカで公開されたということ。原作が金原瑞人氏が翻訳していること、など共通点が多い。ただ、物語はまるで陰と陽のように違った印象を受ける。

f:id:delorean88:20210117215247j:image

「ペーパータウン」は「きっと星のせいじゃない」を書いたジョン・グリーン原作。主人公はクエンティンという平凡な高校生だ。彼は幼い頃から向かいの家に住むマーゴのことが好きだったが一歩踏み出せずに高校卒業間近まで来ていたのだが、そんな時にマーゴが行方不明となってしまう。もともと活発で家出しがちなマーゴだったため、家族も彼女のことは気に留めないのだが、クエンティンは彼女が意図的に残した痕跡を頼りにマーゴを探す旅に出る、という物語。
映画ではアレックス・ウルフがクエンティンを演じていて、イケメンではあるんだけど少し野暮ったい彼の雰囲気が原作に合っていた。また、友人のベンとレイダーは、最近活躍が目覚ましいオースティン・エイブラムスとジャスティス・スミスが演じている。

この仲良し3人グループのやり取りが非常に微笑ましく、今作の見どころでもある。クエンティンと友人たちはスクールカーストで言えば決して上位ではないことは描写で分かるのだけど、そこのポジションにいることの苦悩とか妬み僻みみたいなものはあまり描かれていない。また、家を抜け出して、マーゴの手がかりを追って旅に出る様子は、卒業という現実からの逃避行のように思える。

今作が「ぼくとアール〜」に比べても”陽”と感じるのは、こうした高校生活という縛られた環境内での、明るい側面、楽しい時を切り取って描いているからだ。そんな中でも、ふと現実に返るふとした切ない瞬間もある。原作とは違い少しほろ苦いエンディングが待っているし、冒頭で印象的だった幼い頃のクエンティンとマーゴが自転車に乗るシーンで、坂を昇る二人に対してカメラは坂を下っていくのだが、最後でその下るカメラの目線は、高校を卒業して車に乗って町を出るクエンティンの視点だったということが分かる。もう戻ることのできないあの日を思い出すことを表したシーンだ。

 

f:id:delorean88:20210117215729j:image

これに対し「ぼくとアールと彼女のさよなら」は、まさに”陰”の映画である。原作は、ジェス・アンドルーズ(原作のタイトルは「ぼくとあいつと瀕死の彼女」)で、映画版も同じくアンドルーズが脚本を務めている。

主人公のグレッグは、学校で浮かないようにするためスクールカーストにいる全種類の生徒と仲良くする変わり者。彼の趣味は友人のアールと名作映画のパロディを作ること。そんなある日、母親から強いられ、白血病になった同級生のレイチェルの元を訪れるようになり、彼女と交流を深めていく。

グレッグを演じるのはトーマス・マン。彼は高校生の一晩のパーティーを描いた傑作「プロジェクトX」でも主人公を演じていたが、今作ではより持ち味の気怠そうな印象を前面に出している。それもそのはずで、主人公のグレッグは人と本当の関係を築くのを面倒臭いと思っており、母親から強制されるレイチェルのお見舞いにも最初は行こうとはしなかった。友人であるはずのアールのことも“友達”とは決して呼ばず、映画を共に作る“同僚”と頑なに言い張る。そんな彼が難病の彼女と出会い、接していくうちに変わっていく。というとありきたりなお涙頂戴系の映画になってしまいそうだが、そうならないのが今作。ひねくれたグレッグという人物目線で語られる原作も、突然登場人物の会話が映画の脚本風になったり、箇条書きで書かれたり少し変わっているのだが、これは映画も然り。円形状に机の並ぶ教室のセットや特徴的な形をした廊下をカメラが横にパンするシーンが多く、スクールカーストに満遍なく接するグレッグの人物像を表す。監督は「glee」や「アメリカン・ホラー・ストーリー」でエピソード監督を務めているアルフォンソ・ゴメス=レホン。「アメホラ」でもトリッキーな俯瞰ショットなどを多用しているが今作でも、グレッグが自らの学園生活を俯瞰して見ていることが演出で良く表されている。また、特に素晴らしいのが終盤の病室でのシーン。原作には無い場面なのだが、これぞ映画の成せる業だなという現実を越えたファンタジックさが重なり涙ぐんでしまった。

役者陣もトーマス・マン以外にも、レイチェルを演じたオリヴィア・クック。グレッグの両親を演じるニック・オファーマン、コニー・ブリットン。レイチェルの両親のモリー・シャノン。教師役のジョン・バーンサルなど、全員それぞれの持ち味を活かしていて印象に残る。

ただ一言いうと、映画も原作でも異なる邦題のタイトル。原題「Me and Earl and the Dying Girl」に、自分だったら「僕とアールと死にかけの女の子」という邦題にしたい。