悪魔の吐きだめ

映画とかドラマとかのことを書いてます。

もうすぐ終わりを迎える「ベター・コール・ソウル」について

つくづくとんでもないドラマシリーズだなと思ってしまう。
今回のシーズン6での幕切れが発表された「ベター・コール・ソウル」も残すところ1エピソードとなった。

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(以降ドラマの核心について触れています)


終盤でサスペンスフルな展開を見せたラロとの闘いも決着し、いよいよ「ブレイキング・バッド」以降のソウルの“エピローグ”に焦点が当てられる。


アルバカーキでの騒動から逃げてオマハに身を隠していたソウルは、やはり慎ましく暮らすことなど出来ずに悪事に手を染めてしまう。そんな11話のエピソードタイトルは“Breaking Bad”。
その名の通り、本家シリーズの主役であるウォルターとジェシーが回想シーンの中で登場するのだが、このタイトルを冠したことと、2人の登場は単なるファンサービスではない事が分かる。“break bad”というそもそもの意味に立ち帰ると、“慣習に従っていた人がその道に逆らう”というもの。自らの身に染み付いた悪の道からは逃れる事ができないソウルがその時に思い出すのが、過去に“道を逆らった”2人、ウォルターとジェシーであり、登場は必然なのである。


この回想シーンというのはソウル目線で思い起こされているが、ここに自らの姿とウォルターとジェシーを重ね合わせたかどうかは分からない。ただ、ソウルの起こした行動の動機となっていることは間違いない。彼の運命を変えた、もしくは彼の生きるべき道を示した出会いなのだから。


そして続く12話では、ソウルのパートナーであったキムが再び登場し、彼と別れたその後が描かれる。彼女も“break bad”した1人であり、弁護士を辞めた以降は民間企業に勤めて退屈な日常を過ごしている。冒頭、彼氏であろう男にマヨネーズの買い物を頼んだが、結局マヨネーズ“らしい”何かで“妥協する”というシーンは、キムの現在を端的に表している。
そこにかつての“悪友”であるソウルから職場に電話がかかってくる。それは抗い難い悪への誘いである。再びソウルに身を委ねるか、過去と決別してこの日常を生きるか。この時の受話器に耳を傾ける彼女、レイ・シーホーンの表情がとてつもなく素晴らしい。


最終的にキムは贖罪の道を選ぶ。過去の罪を償い、バスで嗚咽する彼女を長い1ショットで捉えるカメラに、なんて物哀しくてエモーショナルな場面なのだろうと観てるこちらも涙してしまう。
ブレイキング・バッド」というのは、特異なキャラクターとサスペンスを主軸に置いたドラマシリーズであったが、この「ベター・コール・ソウル」においては“キム”という罪の意識を持ったキャラクターを一人置くことで、ドラマとしてより一層奥深い話になっているのかと気付かされる。こんなにも情緒的なシーンは「ブレイキング・バッド」では描かれなかったし、到底描くことができなかった。


そんなキムとジェシーが、過去に思わぬところですれ違っていたことが描かれる。2人はソウルとウォルターという悪に導かれてしまった、ある意味での犠牲者であり、1人は悪事と縁を切り、1人はこれから悪事に手を染めることになる。大雨の中に駆け出すキムと、屋根の下に立ち尽くすジェシーの対照的な構図は、思わず溜息が漏れてしまうような見事さだ。


一方のソウルは、逃避先の街でも悪事を働き、仲間の制止も聞かずに窮地に陥る。リスクを冒す必要のない場面で、敢えて危険な状況に手を出していく姿は、内心で「捕まりたい」という気持ちがどこかにあるのではないかと勘繰ってしまう。


今回のエピソードでの印象的なシーンの一つとして、老人に対し自らの名を偽り騙っていたソウルの素性が、ウェブ上で流れていた過去のCMによってバレてしまう場面がある。
これまでエピローグのシーンはモノクロで描かれているのだが、パソコンに映し出される過去の「ソウル・グッドマンのCM」だけが色鮮やかに彼の眼鏡に反射する。それはまるで、ソウル・グッドマンの頃こそが彼自身が“生きていた”時代であり、いまの逃避先での暮らしはモノクロで味気の無いようなものと表しているかのようである。
自らの過去のCMを観るソウルは、驚愕するとともにどこかハッと思い起こされたような表情をする。自分のあるべき道を思い出したかのように。

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街を後にした彼はこの先一体どこへ向かうのか。今シーズンのポスターのように再び色鮮やかな“ソウル・グッドマン”のジャケットに袖を通すことになるのか。「ベター・コール・ソウル」という旅の終わりを、文字通りに固唾を呑んで待つしか無い。