悪魔の吐きだめ

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『ブレイキング・バッド』と『逆噴射家族』について~ブレイキング・バッドが影響を受けた日本映画

前回『ブレイキング・バッド』のシーズン2について書いた中で触れた傑作エピソード第10話「Over」と、製作側が(恐らく)影響を受けていると思われる日本映画『逆噴射家族』ついて書きたいと思います。以下ネタバレあり。

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第9話「4 Days Out」のラストで、ウォルターは、医師から余命半年と言われていた末期ガンが、縮小していると知らされる。喜ぶ妻に対し、呆然とするウォルターは、トイレに篭り、ハンドペーパーの容器をボコボコに殴る。そこにはガンを克服した「喜び」ではなく、明らかに「怒り」が描かれていた。

そして続く第10話「Over」では、その後のウォルターの様子が描かれる。彼は相棒のジェシーにドラッグビジネスから手を引く事を告げる。「ガンを宣告されて、なぜ?と思ったが、克服したと言われても同じく、なぜ?と思った。」そう家族に告白するウォルターの言葉が全てを現している。それは「麻薬精製」のきっかけ(言い訳)を失ってしまった事による喪失感である。そして、それは男としてのプライドを失ってしまったことを意味している。息子や、息子が父の自分より慕っている甥に対し怒りを露わにしたのもその理由からだ。そんな中、家で過ごす間ふと床下の腐食を見つけたウォルターは、家の工事に没頭し始める。

 

この回を観て思ったのが、1984年に石井聰亙が監督した日本映画『逆噴射家族』である。小林克也演じる父 勝国が念願のマイホームを手に入れるが、祖父が越してきたことから徐々に家族間に亀裂が生まれ、最終的には家族間での戦争にまで発展してしまうという驚愕のコメディ?映画なのだが、そこで描かれている父親と家の関係性、そしてその狂気に両作とも通じるところがある。

「Over」でのウォルター同様に、家の床下で白アリを見つけてしまった勝国は、「家を守らなくては」と仕事も休み、取り憑かれたように害虫駆除に励むシーンがある。彼らに共通して言えるのは、「家」が彼ら自身の心理状態を表しているということである。「家」は、家族を守る父、男としてのプライドそのもので、そこに生じた「歪み」を彼らは必死に修復しようとする。

また、狂気の発端となる重要なシーンも両作似ており、『逆噴射家族』では、会社を無断欠勤した事を上司に叱責されデスクに座る勝国が、突然思い立ったかのように会社を出ていくシーンがある。「Over」でも工具店のレジに並ぶウォルターが、突然レジを抜け出し、密売人と思われるジャンキーの元に向かう。(後ろでパソコンの音とレジの音という電子音が鳴る点まで類似している)

その他にも『ブレイキング・バッド』の他のエピソードと『逆噴射家族』の共通点が多く見受けられる。シーズン3第10話「Fly」は、ラボに迷い込んだ一匹の蝿を追い回すウォルターとジェシーを描いただけの密室エピソード(本国ではBottle Episodeと呼ばれる)だが、たった一匹の蝿に執念を燃やすウォルターは、退治したはずの白アリがまだいると思い込んで床下を掘り続ける勝国を連想させる。シーズン4第11話「Crawl Space」(これも床下が重要なキーとなっているエピソード)では、妻からある事実を知り床下でウォルターが発狂するという名シーンがあるが、『逆噴射家族』でも床下で呆然と仰向けに横たわる勝国を真上から捉えたカメラが徐々に引いていくという同じアングルのカットが存在する。

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また、夫の狂気に絶えられなくなった妻と夫のやり取りは、ドラマ史上屈指の名作「Ozymandias」(シーズン5第14話)での会話にも通じる。(「Ozymandias」も「Fly」も脚本は「Over」のモイラ・ウォーリー・ベケットだったりするのも偶然では無い気がする)

以上の理由から、『ブレイキング・バッド』は『逆噴射家族』に影響を受けている(はず)だと考えている。もしショーランナーのヴィンス・ギリガンに会う機会があれば是非聞いてみたいところである。