悪魔の吐きだめ

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『キングス・オブ・サマー』 永遠だと思っていたあの夏について

この映画の事を書こうとすると、うまく言葉に纏まらない。でも書き留めて置かないと、朝起きた時には覚えていた夢が、断片となって徐々に消えていくように、この映画を観たときに感じていた気持ちも、いつの間にか忘れてしまいそうになる。その気持ちというのは、誰もが青春時代に感じ、そして今はもう忘れてしまっていたものなのだ。ジョーダン・ヴォート=ロバーツの監督作「キングス・オブ・サマー」は、観ている間に、そんな遠い気持ちを呼び起こさせる。

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父親と二人で暮らしている主人公の高校生ジョーは、いつまでも子供扱いし、自分に対して無関心な父親に、不満を募らせていた。一方、父親父親で、反抗的な息子の態度が気に入らない。直接的な要因があった訳ではないが、親子はいつしか擦れ違うようになっていた。
同じく、ジョーの親友のパトリックも過保護な両親に不満を持っていた。そして、(いつの間にか加わったおかしな同級生ビアジオを含めて)3人は誰にも縛られない自由な生活を手に入れるため、森に自分たちで家を建てて生活をすることを決める。

今作を観て思い出す青春映画も多い。「スタンド・バイ・ミー」はもちろん、3人の関係性も「スーパーバッド」を彷彿とさせる。しかし、今作で彼らを突き動かす理由は、「映画的」では無い。
学校では虐められている訳ではないが、揶揄われてはいる。親への不満も「口煩い」、「言っている意味がわからない」という程度のものだ。(個人的には、パトリックの抱える親に対する不満に爆笑しながらも、共感してしまった。あの当時、親の言うことは本当に意味不明に聞こえるのだ。)でも、その頃の彼らにとって、それらの問題は「その程度」じゃ済まなかった。彼らが家を出ることを決めた理由は、誰もが感じていたフラストレーションである。ただ、「自由」になりたくて、そして自由になることが大人になることだと考えて、家を飛び出した彼らは、その代償を知らなかった。

他の青春映画にあるような、「彼らはこの夏を境に大人になった」とか「この経験を通して成長した」みたいな上から目線のクサい説教めいた事など、この映画の中では描かれない。夏の一番輝いている瞬間だけを、この映画は切り取っていく。それは楽しい瞬間だけでなく、失恋や親友との喧嘩などの普遍的な「痛み」も含めた輝きである。

そんな夏に生じた、親や友人との諍いはいつしか解消し、知らぬ間に夏は終わってしまう。決定的な理由や言い訳もなく、知らぬ間に大人になってしまうのだ。ただ、そのひと夏の出来事を振り返るのは、ずっと先のこと。「今」を生きる彼らにとって、あの夏は「永遠」であると同時に、「刹那」だった。それだけで十分なのだ。それが全てなのだから。

そんな彼らを(そしてあの頃の僕らを)讃えるように、最後に流れるYouth Lagoonが歌う「17」に、刹那であったが故の瑞々しさと、失ってしまったものの大きさを改めて知り、僕は涙が止まらなかった。